リーフデ号
 17世紀の初頭、西暦1600年4月10日、大分県臼杵市佐志生の入江に今にも壊れそうなとてつもなく大きな帆船が漂流しました。
遠いオランダの地から東洋の国ジパング(日本)へ向けて旅立った5隻の船団(ホープ号500屯 乗員130人、リーフデ号300屯 乗員110人、ヘローフ号300屯 乗員190人、トラウ号220屯 乗員86人、スハップ号150屯 乗員56人)の中でただ1隻だけ1年10ヶ月に及ぶ苦難の公開の末、日本に到着した船、それがオランダからの初めての船リーフデ号でした。この船は江戸時代、日本とイギリス、オランダ両国に友好を取り持つことになったウィリアム・アダムス(三浦按針)とヤン・ヨーステンが乗っていました。1600年という年は関ヶ原の戦いで徳川時代を決定した年であり、臼杵は太田氏から稲葉氏に領主が替わった年でもあり、日本にとっても、臼杵にとっても重要な年でありました。
 この時代、世界史の中では15世紀末にはじまった大航海時代の末期にあたり、ヨーロッパの新興国オランダも東洋進出に躍起になっていました。オランダという国が正式に認可されたのは1646年でしたので、リーフデ号がオランダを出発した1598年という年は、オランダがスペインから独立を宣言した1581年から僅か17年しか経っておらず、また独立戦争の最中のことでした。

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